日本薬理学雑誌の4月号の巻頭言の執筆を依頼された。タイトルは「運を運びたければ足を運べ」にした。
以下はその内容。
私が薬理学会に入会したのが、大学院修士1年。今年で30年になった。
“アゴラ”の目的が若い研究者向けのメッセージということもあり、この機会に、私が常々、身近にいる学生達に伝えていることを賛否両論あるかもしれないが公開したい。
1) 薬理学の魅力は、物(化学物質)の視点から生命の真理を追究し、苦しんでいる患者を救う学問であるということではないだろうか。今一度、薬理学の教科書を眺めてほしい。作用機序が未だに明確でないものも多く、「〜と考えられている」という表現で終わる記述が多い。逆に断定的に書かれているのは、本当にそうであろうかと疑ってみるのも面白い。拮抗薬の薬理効果がノックアウトマウスなどにおける結果と明確に違う場合が多々ある。そのファジーさが探究心を誘起してくれる。ひと昔前の薬理学の教科書を読むと、如何に不明なことが多かったのか、そして、現在の薬理学の教科書と比較すると薬理学研究の進展の成果を実感できるだろう。既知の薬でもまだまだ新たな作用やメカニズムが見出されている。
2) 新たな薬の開発により医療システムは大きく変遷してきた。同時に、社会全体の仕組みにも大きく影響してきた。これからの社会は新たな薬の開発によりどのような影響を受けるだろうかと考えてみると興味深い。例えば、昨今、世界中の大手の製薬企業が抗がん薬の開発に注力している。もう既に、数種のがん種は薬剤でコントロールされるようになったことは周知の事実である。近い将来、著効を示す抗がん薬が間違いなく開発されるかもしれない。さて、ここで大局的な観点から考えてみる。がんによって亡くなる患者数が全疾患の約3分の1を占めている。もし、抗がん薬だけが先行して開発されたら、高齢化社会はどうなるのだろうか。小児や働き盛りのがん患者を救うことは、無論、経済発展の支援になる。しかし、増加する認知症や骨粗鬆症により、寝たきりや要介護の高齢者が急増することにより、若者への社会的、並びに経済的な負担は増大しかねない。高齢者をターゲットにした創薬研究は、経済発展に寄与できる高齢者を増やすという観点をもっと前面に出すべきである。創薬は、病気を治すだけでなく、社会の負担を軽減することも、つまり、社会施策もセットで考えていく必要があるだろう。一昨年、日本透析医学会のシンポにて血液透析導入に年齢制限をという議論も耳にした。さらには、最近では、同学会がホームページにて「慢性血液透析療法の導入と終末期患者に対する見合わせに関する提言」案に対する意見を求めている(PDFファイルとして入手できる透析会誌45(12): 1085-1106, 2012年に是非目を通してほしい)。命をどう捉えるか、「生命の質」という命題に対峙しながら、科学の飛躍的進歩に併せた社会システムのイノベーションや倫理観の新たな構築が必要な時代に達している。
3) 大学における薬理学研究。学生の頃、薬理学会の先生方から、薬理学という研究分野の夢を授けて頂いた。さて、我々、大学教員が今の若手研究者に夢を与えられているのだろうか。国立大学法人化を含め、様々な大学教育改革に伴い、評価、報告などの研究以外の業務や、共通カリキュラムに則した詰め込み型大学専門教育に追われている。その姿を学生や若手の研究者が身近で観て、自分も将来、研究室を持って、夢の薬創りにチャレンジしたいと思うだろうか。大学における教育は、夢を持たせ、その夢の実現のために学生達の歩を進めることである。教科書に書かれた、過去の知識を与えるだけでは不十分である。即戦力育成など、様々な社会の要求に大学が応えることもひとつの考え方だが、個々の大学の自治と自由を守ることにより若手研究者にもっと夢を与える環境を維持してあげることの方が重要ではないだろうか。学生達が、「私も教授になりたい」と思わせるような後ろ姿を見せることが我々の責務と痛感している。
4) 日本経済の先行きを憂い、若い人達が将来の夢を語りにくくなってきているという。大手の企業も昔のような新卒求人状況では無く、即戦力の中途採用を増やし、新入社員の教育の余裕も無くなって来ているようにも映る。しかし、「逆境にこそチャンスがある」。世界は常に10%の経済成長をしているという。日本などの先進国が沈んで行く一方、世界のどこかはその分、上昇気流に乗っている。日本だけで生きて行こうと思うから先行きが暗くなる。今からの時代は「日本人」として生きるのではなく、「地球人」として生きてほしい。そのために、英語だけでなく様々な語学を身につけると共に、世界共通のグローバルライセンスである博士号を持って世界を飛び回ってほしい。博士までいくと就職先がないというマイナスのイメージを持つ学生がまだいるが、ポジティブに考えてほしい。採用してくれる企業がないなら、自ら企業を創ることも選択肢のひとつである。地球でサバイバルできるというモチベーションを持った人材の育成が大学の真の役割かもしれない。欧米諸国への留学ではなく、敢えて、BRICsなどへの留学も選択肢の一つとしても良いのではないだろうか。昔は、「私はこれの専門家です」で、飯が食えていた。今は、ソーシャルネットワークが発達し、専門的な情報も簡単に入る。これからは、多様な情報を活用できる、iPS(多能性幹細胞)のような、多能性(幹)科学者(多様な専門知識を活用できる多能な科学者)が活躍する時代かもしれない。
5) 生命を物理学的な視点から眺めるのも面白い。2015年には介護用ロボットの保険適用の範囲を拡大するという。将来、多機能の介護用ヒト型ロボットが開発されてくるであろう。介護というビジネスが日本経済にとって生産的であるかどうかについては百家争鳴である。少子化社会が高齢者の介護ばかりに追われたら経済は疲弊する。多機能の介護用ロボットの作製に必要な基礎は「人体物理学」である。生体機能を全て数値化し、ロボットに活用する。近年の生命科学研究により、多くの生命現象が解明されてきた。次は、これらの研究成果をデジタル化して行く作業が必要である。何事も将来をポジティブに考えていけば多くのアイデアが生まれる。薬理学の研究者も貢献できる分野である。
6) 薬理学会は、他の基礎系の学会と異なり、薬というツールで患者を救おうという強い意識を持った人たちの集まる会であるということはないだろうか。昔から思う。多彩なだけに面白い学会である。
学生達にいつも伝えている、「運を運びたければ足を運べ」が全ての基本指針であることは今も昔も変わらないと思う。