日曜日の深夜便で羽田からLAに向った。LAX到着は、同じ日曜日の午後5時15分くらい。それから入国管理で、約1時間並び、そして、スーパーシャトル乗り場で約30分ほど待ち、UCLAのDykstra Hallという学生寄宿舎に向う。着いたのは、午後8時半過ぎ。それからチェックインし、部屋を探していたら現在UCLAに研修で来ている学生に会う。部屋にはベットが二つだけで何もない。共同のトイレがフロアに男女それぞれ一つずつ。シャワーもトイレの中にある。この時期、様々な国の留学生が研修に来ているらしく、昨日まではフランスからの学生がいたという。水を買うにも両替で1ドルが無かったため,自販機で購入できず、宿舎の周りをぶらっとするも何も見つからず、帰った。夜中に、現在UCLAにて研修中のノーマンが訪ねてきて、色々と話をし、朝食を一緒にすることを約束し、朝まで寝た。学食で朝食をとり、10時からの英語の講義を見学しようと思っていたが、担当の教員が急遽、病気により来れないと連絡があり、私が急遽代理として、UCLAの講義室で医学、薬学、工学の連携について話をした。
その後、すぐにバスでUSCに移動の予定が、バスが中々到着せず、結局、1時間遅れでUSCに到着。USCでは、ウィンカー先生により、アメリカの薬学教育ならびに薬剤師のシステムについて講義があった後、学生達はラボ見学、私は、USCの薬学部長と面談に向った。
薬学部長との面談では、大変好意的に接し、大学間の連携協定を締結するための準備に入ることで合意をした。
その後、友人でもあるOkamoto教授によるUSCの薬学研究について講演があった。午後5時を過ぎたため、学生達はバスでUCLAに向かい、私はそのままUSCに残り、Okamoto教授の部屋で色々なdiscussionをした。また、夕食を一緒にし、その場でもアメリカの薬学教育の現状と課題について情報を得ることができた。8時半過ぎにLAXまで送ってもらい、また,深夜1時発のANAで羽田に向った。強行スケジュールで、やはり体力が必要であり、いつも涎を流しながらの爆睡状態であったようだ。27日の午前4時半に羽田に到着し、午前7時発の熊本行きで、無事、帰熊した。LAー羽田間のANAのCAが同じメンバーであった。昔と異なり、今は、国際線のCAは大変な仕事である。現在、アメリカの大学では、薬学部が乱立し、薬剤師の数も急増しているとのこと。また、就職先もドラッグストアのチェーン店が多くなり、日本の状況に類似している。薬剤師免許も更新制であり、常に新しい情報を得ていない薬剤師は免許無効になるらしい。また、薬学部の学生の研究志向がほとんどなく、アメリカの薬学部の研究レベルがアップしていかない原因であるという。その他、色々な情報を得、お互いに補完し合いながら成長できるようにも思えた。27日の午後は教授会であったが、眠くなることも無く無事に役を終えることができた。今回の出張を通して、南カリフォルニア大学との連携により、熊薬ならではのグローバル教育システムが近い将来に構築できるものと確信している。大学が特色を出し、アピールしていく戦略には終わりが無い。。。
UCLAキャンパス内の様子