約60kmを歩く「遠歩 (ENPO)」に30年ぶりに参加しました.40代最後の思い出作りでもありました。
先週末の流れは以下の通り.
30日(金)午前中に科研費申請書を提出。昼に同級生で旭化成(医薬部門)で頑張っている親友とタイピーエンを食べ,夕方から五郎八(イロハ)で馬のホルモン焼きやもやし炒めをつつきながら、親友の部長就任を祝福し,その後、熊本中央病院薬局で活躍している親友も合流し,学生の頃,生協の食堂のおばちゃんが夜に経営していたスナックである、懐かしの「銀杏の葉」に行き,盛り上がる。
31日(土)三男のサッカー公式戦で、朝7時過ぎには家を出発。15時には旭化成の親友とゴルフの打ちっぱなしに(近々、コンペがあるということで練習につき合い、調子に乗り過ぎ、200発。左手にマメ)。その後,一緒にラーメンを食べ,至急、家に帰って「遠歩」の準備。20時過ぎに黒髪の開会式の場所にいく。エントリー後、22時に貸切バスで、阿蘇頂上へ。昨夜からの睡眠不足で、バスの中では爆睡し、あっという間に阿蘇頂上駐車場に着く。気温は寒すぎず,星が輝き、心地よい風に気分爽快。頂上の山の稜線が月の光に映え、絶景だった。
(出発前のハイテンション)
24時のスタートの合図。
走り出す者、ワイワイ会話しながら歩く者、様々でしたが,私も皆(研究室からKoga, Shogo, Chokobo, Sako, Shingo4, Fukuda)と一緒に行こうとしたが、スタートからしばらくは大渋滞で、月明かりの中、歩きにくい。そこで、早歩きの単独行動を取り,草千里を突破し,早々に下り道に突入。多くの歩き組を追い越したことから、周りに人が少なくなり、月夜の阿蘇の景色,阿蘇町の夜景,星空や爽やかな高原の風を満喫しながら、颯爽と山を下っていた。とにかく、気持ちが良い。ENPOに参加して良かったなあと思いながら、4分の3を下りて来た頃、何となく足の裏に異変が。大きなマメが両足にできたらしい。坂だから,どうしても足の裏の前方に負担がかかるのは当然。そこで、踵から足をつくように心がけるが、少しずつ不安になり、周りの景色を楽しむどころではない。弱気の悪虫も出て来て,阿蘇を下りただけでも良い記念かなとリタイアまで考えだす始末。結局、2時間半で下山。歩き組では早い方だった。ところが、その後がかなりのスピードダウン。30年前は大津までは走り続け、その後,悲惨な状態になってやっとゴールしたが, 今回は、大津どころか立野の前で、30年前の大津からの状態になってしまう。立野までは、一人旅。多くの歩き組に先を越され,前後に人影無しがしばらく続く。やっとの思いで、立野に着いた頃に、研究室の仲間が追いついた。足を庇うためか腰痛まで現れ、はじめての大休憩を。靴を脱ぎ、足を上に上げてしばらく横になったところ、何となく復活した(と勘違い)。足の痛みを取るためにShogoからボルタレンをもらい、薬学ならではのドーピング。また、皆と話をしている時,「皆で手をつないでゴールしたいですね」という言葉に動かされ,自分が欠けたらいかんのだと奮起し,スタート。完全に夜が明けていた。
立野から大津までの約9kmは皆と一緒のせいか比較的頑張れた。そして大津に。Shuto先生やShota, Tomi達が差し入れをしてくれた。感謝。ここまできたら、足はボロボロだけど,リタイヤ無しと決断。そう思っていると、泣きっ面に蜂。雨がぽつりぽつりと、そして、大雨に。土砂降りの中、こんなにきつい思いをして、何のためにこんなことをやっているのだろうと思いながらも,とにかく前進していた。また、単調な道が続く,大津から武蔵塚までの菊陽バイパスは地獄。足の裏のマメによる痛みも麻痺し始め、頭も麻痺し始め,7人で自衛隊行進のごとく、「いち、に、いち、に」と声をかけながら雨中行進。バイパスを通る車からの視線も気にすることなくーーー。前後に参加者がいなかったことから、おそらく、異常な集団が何かしているとしか思えなかったのではないだろうか。菊陽のコンビニの前で、Jonoファミリーがカップヌードルの差し入れをしてくれた。雨に打たれ、冷えた体にはカップヌードルは最高だった。
武蔵塚は最後のチェックポイント。ここまでくれば、とにかくなりふり構わず前進あるのみ。足が上がらないため、ずり足によるスケーティング走法でいくしかなかった。57号線を多くの車が行き交う中、多くの人からは、歩道を行く異様な宗教集団に見えたかも。また、若者に交じり,いい年のおじさんが死にものぐるいの形相で、公道でスケーティングのような格好で歩いているのはーーーー。
熊大、黒髪キャンパスが見えたとき,思わず,グッと来るものがあり、涙があふれそうになった。よく頑張ったなと自分をほめ、周りの仲間に感謝をし、何とも言えない達成感があった。赤門をくぐって、全員で肩組んで同時にゴール。午後1時半。
ゴールで迎え、たこ焼きを差し入れてくれた、Sho-chanとJyurianに感謝。生き返りました。天国と地獄からの生還。
そして、決意。
「二度とENPOには参加しない」と。学長命令でも断る。
でも、一生の良い思い出になり、40代最後の記念になったのは、大変感激である。
その後。
帰宅後、風呂に入り、ソファーでBioMetronomeの臨床試験。ENPOの症状がどのくらい緩解するか。まずは、両足にパットをセット。心地よい刺激で,そのまま爆睡。気がついたら午後8時。それから食事をし、再び腰、臀部、太腿、ふくらはぎと各30分ずつ治療。
そして、今日。予想以上に体が軽い。歩くのは止めて、自転車で大学へ。年のせいで、明日か明後日にピークが来るのかもしれないが,気分は良い。125年の歴史を有する薬学部の教授で、ENPOに参加して,完歩できたのは自分だけだろうと妙な優越感に浸っている変な中年がここにいる。そして、最もショックを受けたことは,最も楽しみにしていた体重変化が1.5kg減しかなかったことだった。1.5kg減は、私にとっては誤差範囲。最後に一句「手にもマメ、足にもマメのENPO Journal受理祝い」