(2011年の1月5日のブログの再再掲)
私は、大学全体で5名しかいない学習・研究悩み事相談員を設立当初からずっと(10年以上?)担当してきたこともあり、研究室内だけでなく、学生や教職員の多くの悩みの相談に乗ってきた。色々と悩んでいる人は多い。どうにか救える方法はないかといつも考えてきた。私なりのひとつの考えを以下にまとめてみた。悩みそうな時に参考にしてほしい。
受験勉強で解いてきた問題には、かならず正解があった。どんなに難しくても、解けなくても、悩んでも、かならず正解があった。だから、もし精神的に苦しんでも解放される瞬間は必ずあった。ところが、社会に出て、送る日々の中で遭遇する問題には、正解がないことが極めて多い.また、自分で一生懸命悩んで出した答えも違うことが多い。そして、必ず正解があるはずだと悩み苦しんでしまうと自分自身を追いつめ、正解に到達することができなかったということで自信もなくしてしまう。誰に聞いても正解なんか無いことなのに悩み続けてしまう.社会で遭遇する問題を、正解が必ずある試験問題と同様であるはずと無意識に考えてしまうのだろうか、そうなると苦しみが続いてしまう.正解を出さないと解決しないのではないか、進展しないのではないかと必死に思い込んで、また、悩み苦しんでしまう。
私も、人生経験が少ない若い時、失敗や屈辱的なことをいつまでもグジグジと悩み苦しみ、眠れない時を過ごしたことがあった。当時、元来、そういうタイプ(遺伝的)だとあきらめていた感もあった。しかし、ある時から、意識が変わった。いや、変えたのだろう。私のきっかけは、単に「苦しむ時間がもったいない」と思っただけ(非遺伝的).
では、具体的にはどうしたのか。それは、失敗の大小に関わらず、悩み苦しみそうなことに遭遇したら、瞬間的に「嫌なことは忘れる」という神経を強く活性化させるように意識しただけ。後に引きずりそうなことはその場で忘れるように強く意識しただけ。悩み苦しんでも正解など無いこと、あるいは、あったとしても正解を出すまで時間がかかることは、出来るだけ早く「忘れた」だけ。そして、悩まずに新しく生まれた時間を次のステップへの前進に使うように意識しただけ。忘却という神経回路は、自分を本当に楽にしてくれた。そして、前向きにチャレンジするタイプへと変身させてくれた.単に「忘れる」ということだけで。
この「忘れる」ということは、問題の答を求めるより簡単な神経操作であった。そして、この神経回路の活性化を助長させてくれるのが、スポーツであり、お酒であり、気の合う仲間との馬鹿話であり、趣味であった。悩みや苦しみをお酒の場まで引きずるのではなく、お酒の場では、関係ない楽しい話題で盛り上がると良かった.いわゆる気分転換は「忘れる」の触媒であるかのように。
多くの問題に真摯に向かい、一生懸命に努力し、真剣に考える、良くできるタイプほど、また、学生の頃から自分はずっと成功してきたという自信がある人(そう思うことで自分を擁護している)ほど、社会で遭遇するほとんどの正解のない問題に悩み苦しむ確率が高いように思う。一方、一般に、100点満点中、60点取れれば良しとするようなタイプは生き抜けていると思う。ひとつひとつを程々にこなしていくタイプは生き抜ける。多趣味であるタイプも生き抜ける。生き抜けるタイプに共通する特徴は、「切り替えの早さ」かもしれない。「切り替えの早さ」を言い換えると、「忘れることの早さ」ではないかと思う。悩み苦しむくらいなら、一刻も早く忘れよう。自分はこの問題を乗り越えることができるという変なプライドなど、まずは、かなぐり捨てよう。今、正解がわからなくてもいいではないか。長い時を経て、たとえば、30年後に、あの時の悩み苦しみかけた問題の答えは、何となくこんなのが正解だったかなと思う時が来るものだから、それでいいのではないか。失恋しても、歳とって、あとで振り返れば懐かしい思い出に変わるものだから。
つらいことに遭遇したら、悩み苦しむ前にその日の内に忘れよう.そして、良い思い出はしつこいぐらい忘れないようにしよう。脳に刻み込もう。そうすると人生が楽しくなれる。一歩前進できる。チャレンジする勇気が持てる。99%失敗、でも1%の成功があれば良いではないか。そう強く思う.
今、悩み苦しんでいる多くの仲間たちに「忘却の重要性」を心から伝えたい。そして人生を一緒に楽しもうよ。
三島由紀夫さんも同じ考えであった。
「人間に忘却と、それに伴う過去の美化がなければ、人間はどうして生に耐えることができようか」
(三島由紀夫「私の遍歴時代」より)