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2023年2 月21日 (火)

教員1年目−3年目

教員1年目−3年目

昭和62年4月から63年3月。薬物学研究室の助手としてスタート。メンバー(旧姓):4年生に、礒濱、牧瀬、山本、高木、福田、本田、M1に、村田、渕上、雪、M2に、小田、白崎、古川。大学に戻る際に宮田教授にお願いしたこと。それは、ラボに細胞培養環境を。当時は、電気生理学(パッチクランプ)、生化学(GC-MS)、呼吸器薬理学の研究テーマが展開されていた。エーザイで経験した肺胞II型上皮細胞の初代培養法の構築、そして、麻酔下でのウズラ気道クリアランス評価法の導入を行った。エーザイでの創薬体験を後輩達に伝えながら、学生達と同レベルでの研究生活。この頃、シアル酸の研究がユニークだった。シアル酸自体にin vivoで抗アレルギー作用が明確にあることに驚いた。

 

昭和63年4月から平成元年3月。メンバー(旧姓):4年生に、石橋、木本、小松、西島、堀、松本、村原、渡島、M1に、高木、福田、本田、M2に、村田、渕上、雪、D1 小田。遅くまで研究室に残り、それから田吾作に深夜まで、飲みに行くという、ある意味、激しい生活。小田くんが第一号のDrコースの学生。特に、小田くんとは兄弟のような付き合い。お互い家族が増えたら、一緒に家族旅行もやった仲。助手といいながらも学生と同じ。修士課程時代にやった研究内容を論文化していき、博士号を取得するための準備。また、将来、海外にいくことを考え、自分への投資で、年間50万円もする英会話学校にも通う。この頃は、高濱先生が主体となった鎮咳薬の薬理、私が担当する気道クリアランスの薬理が中心の研究であった。独自に開発した薬を手に、企業からの研究生が在籍していた時代でもある。

 

平成元年4月から平成2年3月。メンバー(旧姓):4年生に、太田黒、笠野、川口、窪田、小松、松崎、安永、渡辺、M1に、石橋、木本、渡島、M2に、高木、福田、本田、D1 渕上、D2 小田。この時代は、4年生8名中7名が女子、かつ、その女子達が明るくて元気、が一番のインパクト。ひたすら、実験して、酒をよく飲んで、朝まで騒いで、ある意味、無茶苦茶、楽しんだ1年。この頃は、肺胞II型上皮細胞の初代培養法が安定してきた。また、ウサギの気道上皮細胞の単離培養に挑戦。その際に、気管の切片を用いて、S35で放射性ラベルしたプロテオグリカンの分泌を評価し、Mg2+が重要であることを明らかにした。これは、今でも謎。渕上くんが漢方薬である麦門冬湯の研究で、空咳に有効であることを証明。一方で、清肺湯が粘液が貯留する肺疾患に有効であることを明らかにしてきた。世の中に麦門冬湯の活用の流れを作った。

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