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2023年2 月14日 (火)

振り返り:エーザイから、大学教員へ その1

振り返り:エーザイから、大学教員へ その1

24, 25歳:大学院修士課程修了後、エーザイに入社し、筑波研究所で薬理研究員として、朝8時前から夜11時過ぎまで合成グループの化合物の薬理評価に明け暮れ、充実した毎日だった。また、私は運動ができる数少ない若手社員として期待され、筑波研究所の軟式野球部、サッカー部、テニス部、バレー部に所属した。平日の仕事よりも土日の運動に体力を使い、お陰で、平日の仕事が楽に感じた。1番の思い出は、野球の地域リーグの決勝戦での、スタンドインの満塁ホームラン。私の入社最終面接を担当した研究部長(野球部の部長)が、入社後の新人研修の時に私に放った言葉「甲斐を採用したのは、大学時代に4番バッターだったと言っていたから」と。。。? ともかく、その期待に応えることはできた(笑)。研究所の同期入社の平均年齢が28歳を超えていた。多くが博士、そして、大学の助手、海外ポスドク経験者など多彩で能力溢れる同期達。一番、若く、力が無い私は、実験量だけは同期の誰にも負けないと必死だった。また、日本語や英語の語彙力不足を補うために、速読法を身につけ、様々な分野の本を多読し、平日の昼休み時間は、駐車場の車の中に一人籠り、FEN(米軍基地からの放送)を聴いて、英語力でも皆に追いつこうとしていた。強烈な刺激を与えてくれた同期に感謝。平日は、最後まで研究所に残って実験をしていたので、研究所に宿泊している部長や室長などに声をかけて頂き、社員食堂で飲む機会が多かった。新人ながら、会社の内情を知る、学びの時間を得ることができた。その時、室長だった山津さんとは、私がエーザイを退職後も長い長い密な人生の友になった。さらに、当時の研究開発本部長は、現在の内藤社長であり、今もなお、懇意にして頂き、昨年、主催したアフリカ開発会議サイドイベントイン熊本でも、ご多忙にも関わらず、私の講演依頼に対しても快諾頂いた。私の人生にとって、エーザイ時代は、濃密で、とても有意義で、成長した2年間であった。たった2年間でも中味は濃かった。

「長生きでなく、中味の濃さに人生の意義がある」

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