2016年4 月17日 (日)
非情の大雨:備忘録として非情の大雨:備忘録として
今、学部長室にいます。熟睡でした。一杯、寝たように思えたが、3時間だった。それでもすっきり。靴を履いたまま寝た。雨音がよく聞こえる。薬学部のグランド、キャンパス内の駐車場で夜を超す人たちがたくさんいます。体育館内には400名くらい、熊大の学生(留学生を含む)用に解放した宮本記念館の1階には100名くらい(福岡などに避難したり、県外の実家に戻ったりして数は減って変動はしていますが)、近隣の住民が体育館ではおさまらず、学生と一緒に蕃滋館内の食堂にスペースを作り、避難所にしたところに50名くらいでしょうか。車で過ごしている方の人数は?とにかく、キャンパスにいるメンバーで、OSCE用のトランシーバーを活用し、避難市民支援。避難されている方々から感謝されるのがせめても救い。支援している教職員、学生は、自分の食より、市民を優先。熊本市から配給されたパンが120食。到底回らないが、まだ被災から間もないこともあり、自宅から持ってきた避難者が多いため、何も持っていない人を優先して配布(長期化したらと思うと。。。)。プライバシーも何もない状況。概ね協力しあっていただいている。今も弱い余震を感じる(何となく体が揺れている感じで、余震なのかどうかもわからない)。長期の避難生活になった場合のためにも、本来なら、市民の方々が避難所の運営を中心的にしないといけないと思うのだが。時に、ボランティアである学生に対してのクレームもあったが、町内の自治会まとめ役に御願いし、我々はあくまでもボランティアであり、市からの派遣とかではないことを伝えてもらう。また、ドーンという低い音、地深いところから聞こえる。揺れた。かな。とにかく本当に熊薬の学生は素晴らしい。避難している多くの方々から、「学生個々が自分の判断で動き、対応してくれている。素晴らしい。こういう訓練でも日頃からやっているのか?」と(皆、もちろん初体験なのに)。さらに、避難者に対する対応だけでなく、いくつかの研究室、実習室等で起こった水漏れ対応も、休む暇無く、食事も忘れて、皆で連携して動き回っている。感謝、感謝。彼らのひとつひとつの行動が、薬学部の研究教育活動への完全復帰を1日でも早くしてくれていると実感。また、ドーンという音。揺れはしていない。と思う。今、遠くから聞こえてきた救急車の音。それとほぼ同時に雨音も激しくなり、全ての音が消された。支援物資の数と避難民の数のアンバランス。テレビで流される避難所への食事の配給の様子。自分たちにはそのような配給は全く届いていないことへの???。各避難所への支援の程度のアンバランスもあるため、マスコミはすこし気を使うべきでは。テレビで何度も何度も流れる同じシーン。本当に何度も流す必要があるのか、被災者へのインタビュー。本当に必要か。何のため。あの阿蘇大橋がなくなった。熊本城もぼろぼろ。阿蘇神社も。被災者側になり、初めて気づく多くのこと。現場で経験しないとわからないこと。外からの支援のあり方。本震直後、私が直感的につかみ、リュックに入れ、家から持ち出したもの。毛布、寒さ対策用ウェア、懐中電灯、水ペットボトル(大)、蜂蜜(お歳暮でもらって、長らくキッチンの台の上にあった大きなサイズのもの)、下着類。今、振り返って、この蜂蜜はほぼ無意識につかんだが、避難生活では色々と活用でき、極めて有用ではと思う。今、学部長室にひとり。外から聞こえるのは雨音のみ。長々と書いたが、国内外からの多くの心配と励ましのメールに、このブログを読んで、安心したとあったので、現況を報告するために書いた。1時間半後には、夜が明ける。昨日は、私はキャンパス外に一度も出ていない。それでも阿蘇遠歩後に似たふくらはぎのけだるい筋肉痛と疲労感。街の様子が気になる。家のダメージが大きい方々にとっては、これからが辛い。でも津波が無いだけでも。。とにかく今から今から。亡くなられた方に合掌。風の音が。。