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2016年4 月18日 (月)

色々と:備忘録

色々と:備忘録

幸いにも大きな余震はなく、落ち着いた様子。昼間、体育館の人口はかなり減った。おそらく帰って家の片付け等をしているのだろう。次々に支援物資が増え、お湯を沸かし、提供するボランティアを学生達が担当している。少し余裕が出てきたように思える。学生や留学生で、県外に避難できない学生達が宮本記念館で自立的な生活を始めている。お互いに協力しあっている。人生において良い経験になろう。夜になると戻ってくる避難民が増えてくるであろう。震度2程度の余震が今。頻度は低くなっているが、日奈久断層への展開に要注意だろう。支援物資も少し余裕を持っている方が良いと指示を出す。落ち着いているときこそ、携帯の充電や栄養補給を。自衛隊の状況把握が午前中にあった。60数箇所の避難所の人数が多いところから優先して炊き出し等を実施するという。とりあえず、正門前にそのための場所を確保。生協の売店の片付けを学生達が行なう。

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宮本記念館内のルール

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皆でシェア。

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ハラル用

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キッチン。

 

夜には、静岡から運転してきたという車3台による個人的な支援者がきた。町内の知り合いと言う。体育館に運び込まれ、自由に取って下さいと自治会の人が呼びかけると、それまで静かであった雰囲気が一変し、我先に支援物資を取りに行く。良心的な判断は、不安感が強い中では、できないのは当たり前だろう。配布は仕切り直しした。一方、学生が避難している宮本記念館では、エジプトからの留学生がエジプト料理を振る舞っていた。ハラルのこともあり、肉の備蓄は日頃からしているようだ。学生達は親が迎えにきて、実家に帰る者、県外の友人宅に一時避難するもの、宮本記念館に寝泊まりながらボランティアをする者、研究体勢を整えようとする者、様々であるがどれも自然である。何が良い悪いはないのが非常時というもの。最初の日から何日経ったかな。何れにせよ、避難所体制がうまく回りだした感はある。

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味噌天神の鳥居。折れている。

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屋根瓦が道に。それを脇に寄せている。

 

大きな地震も無く、一夜明け、午前4時から見回り、そして、そのまま震災後初めて、キャンパス外に出た。いつもなじみある界隈を写真を撮りながら歩く。味噌天神の鳥居のダメージ、古い家屋の屋根や塀の崩壊などなど。自宅に戻ってみた。電気は通っているのが幸いかな。水はちょろちょろ。ガスは今月一杯は無理とのこと。どんぶり一杯の水を電子レンジで温め、忘れられていた髭を剃り、その残り湯に水を加えて、頭をさらっと洗ったつもりに。液晶テレビは買って間もないが、3分の1はダメージで虹色の画面。とりあえず着替えて大学へ。今日は部局長会議で、現況報告と今後について話し合うと連絡あり。黒髪にどうやっていくか。道にタクシーは見かけない。水前寺の鳥居といい、熊本城といい、崩壊は悲しいもの。リセットされたと思うしかない。今日から、近所の避難民への支援から学部の教育研究体制の再構築に向けてギアチェンジかな。今回の大震災、周辺住民から、熊薬の株が上がったことが唯一の救いかな。100年以上も熊薬の学生が育てられた味噌天神界隈。今回その恩返しが少しはできたかな。多くの励ましのメールに感謝します。返事がいい加減ですみませんでした。

 

熊本市内でもそうですが、郊外の小さな避難所は、震災から2日経っても、水の配給さえままならないところがあると聞いた。熊薬体育館はかなり恵まれていると思う。備蓄倉庫のものは最初の地震で使い果たし、2回目の地震では、熊大本部の備蓄からの支援、熊大生協の鍋島店長によるおにぎり提供、ボランティア学生による細かな支援があったので、ここはかなり幸せの方ではとも思った。とにかくみんなよく頑張っている。今また、震度3かなと思われる余震。。しかし、明らかに頻度と程度は低下中。来週には完全におさまれば良いのだが。。時が経ち、全てが落ち着いた時に、「新たな熊本のスタートに向けて、100年に1度のリセットが行なわれたのだ」と思いたい。最後に、ボランティアは強制でも義務でもなく、あくまでも自然であるべきということを再度強調したい。ボランティアで単位をという強制的な発想はあり得ないと今回思った。仕方なく支援に来ているという自治体派遣関係者は逆にいない方が良い。ただ、支援を受ける方も支援を受けて当たり前ではなく、一時間でも早く自立的に運営できるようにすることを何よりも優先すべきである。このような危機では、何が良い何が悪いというのは無くて当たり前。皆が無事であるのが何より大事。

 

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