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2016年4 月24日 (日)

嬉しい手紙と益城への道

嬉しい手紙と益城への道

 今日の午前中、薬学部体育館の避難所運営において、協力して頂き、大変お世話になりました白川校区9町内会の皆様が避難所から離れることになった。多くの元気の良い子ども達(幼稚園生から中1まで?)からお礼の手紙を頂いた。思いがけず大変嬉しい出来事であった。サポートした学生達もとても励みになるだろう。こちらこそ本当にありがとう。心強い元気をもらった。そして、多くの子ども達が薬学部に入学しますと言ってくれる。薬学部にこれらの手紙を飾っておこう。余震がまだある。もう子ども達が、避難で薬学部に戻ってこないこと、そして、明るく学校に復帰することを心より願う。避難所における子ども達のケアのあり方も学んだ。昼は外で遊ばせる。遊んでいると余震があっても感じない。避難所にじっとしていると余震を常に感じ、不安が強くなってしまう。そして、夜は疲れきって寝る。だから余震を感じなくて済む。避難所の周りに運動できるスペースがあることは大事。薬学部にはグランドがあったのが幸いかもしれない。

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 午後は、次男のロアッソの後輩で、実家が被災したタイシン選手を励ますために久々に自転車で益城に向かった。途中の江津湖は湖面が50cm以上低下していた。水前寺公園の池の湧き水が少なくなったという寂しいニュースもあった。江津湖の先の湖畔沿いの道は大きく崩壊していた。さらに、益城の田園地帯の道をひたすらペダルを踏んだ。大きな亀裂も自転車だからこそ進めた。子どものサッカー練習で良く通った益城のグランドはテントが沢山。益城の体育館も町民を救っている。さらに自転車を進めた。そのまま落ちた橋。瓦礫の山のように見える家々。熊本市内とは比較にならない。タイシン選手の焼き肉屋も。その隣も大きく崩壊。本人はいなかったが、お爺さんが一所懸命に家具らしきものを引き出していた。大きな余震が来たら危ない場所で。皆、必死。挨拶をし、益城の体育館の側に戻った。そちらで会えるかもと。息子の代わりに励まそうと。見当たらなかったため、そのまま、別ルートで帰ろうとしたところ、益城の街中に入り込んだ。自転車を押しながら、唖然としながら、表現しようがなく、写真さえ撮れない、撮ってはいけない、言葉もかけようがない、これが直下型地震の、震度7直撃の怖さ、恐ろしさ、言葉が見つからない。ブログに掲載したらいけない、写真を記憶として残してもいけない、そう確信していた。ここと比較したら、大学の被害など、ちっぽけなもの。日常を無くしたこの街、ここの人々に、心を含め、日常を取り戻すために日本中の支援が集まることを祈りたい。この界隈を歩き、昔知る店を、人々を思い出していると、東日本大震災で、日常を無くした人々の悲しい気持ちが、初めて実感できたように思えた。帰途、横井小楠記念館も大きく傾き、もう駄目。道、橋、家、亀裂、亀裂、亀裂。リセットとか、軽々しく言えない1日となった。今から何ができるか、今から何をするか。前進前進。

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