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2012年11 月20日 (火)

舘さん

舘さん

11月18日の朝、舘英雄さんが永眠いたしました。先月の熊本での個展が最後でした。個展期間中、一緒に食事をしに行ったりしました。熊本に来られるたびに一緒でした。家族同様の付き合いでした。熊薬にも大きな油絵を3点、寄贈され、ひとつは正面玄関に飾られています。

 

私が修士2年になったばかりの頃、面接でエーザイの本社を訪ねました。その時の面接官の一人が舘さんでした。私が椎葉出身であることを大変気に入られていました。面接が終わり、本社の玄関を出る頃は、午後5時を過ぎており、当時、熊本への飛行機はもうありませんでした。帰ることもできず、さあどうしようと思っていた時に後ろから声をかけられました。舘さんが「おうどうした。帰れないか。だったら。うちに泊まれ」と。そして、「では、その前に、銀座で飲もう。」と。結局、銀座のクラブ(座るだけで数万円)で夜遅くまでご一緒し、終電で埼玉県富士見市まで向い、舘さんの自宅に泊まらせて頂きました。その時、高校生の息子さんと話をさせて、気合いを入れてくれと言われました。それから、舘さんとの付き合いは、エーザイを辞めてからもずっと続き、約30年の年月にもなりました。この間、多くの仲間を紹介して頂き、椎葉の私の亡き父とも鶴冨屋敷で酒を酌み交わし、それ以来、ほぼ毎年、椎葉の鶴冨屋敷の旅館に宿泊するような状況になり、さらには、平家祭りを描いた大きな油絵を椎葉村に寄贈し(私が額縁代を出すということで連名の寄贈に)たりと色々ありました。また、旅のたびに、私のところに山のようなニシンや漬け物が送られて来て、私が配達人ということで、親交ある先生方にお渡ししたりしていました。熊本でも数回個展を開催し、その度に熊本に多くの親友を増やされました。


先月の個展の最後の日の片付けの時に、「甲斐先生、好きな絵を持って行け」と言われましたが、いつもは申し訳なく断っていたのですが、今回は、何となく違った感じがし、素直に自分が好きな大きな風景画を頂きました。舘さんから頂いた油絵は、結婚のお祝いにと筑波山の絵(約25年前の初期の頃の絵)、教授就任の時、そして、今回の3枚になりました。それぞれに温かい思いが込められています。 舘さんはいつも言っていました。「くよくよせず、死というものを自然なものとして受け入れるように。死んで行った人たちより、今、生きている人たちを見つめてほしい。常に前だけを向いて。」 舘さんが今まで創られてきた、大きく温かな絆を皆で活用していくことを舘さんは一番喜ばれます。自分のせいで、皆が悲しんでいることを一番嫌います。舘さんは、素晴らしい風景画を皆に届けるために、またどこか遠くにスケッチの旅に出たのでしょうね。舘さん、熊本でまた個展をしましょう。

 

 

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