2013年8 月30日 (金)
英国シェフィールドから伊ミラノへ:EU学会放浪記英国シェフィールドから伊ミラノへ:EU学会放浪記
17日、熊本県庁前、午前4時50分発の福岡空港行き高速バスに乗ったのが旅の始まり。福岡空港7時15分発、成田行きに乗り、午前発ANAのヒースロー直行便に乗った。約10数時間後に、ヒースロー空港に降り立ち、ヒースローエキスプレスでパディントン駅まで15分、地下鉄にてキングクロス駅に、そこで、シェフィールド行きの列車に、この列車は途中で乗り換えであったが、その乗り換え駅に着いたらすぐに乗り換える予定の列車が出発した。しばらく待って、鈍行列車でシェフィールドに。夜の10時前に到着し、タクシーで学会会場兼宿泊所であるEdgeへ。ここはシェフィールド大学の寮の様なところ。その中にある生協のような食堂の2階がその学会会場。学会は、細胞ストレスに関する学会であり、以前、ケベックであった学会と同じである。
宿泊した部屋には、狭く、テレビもなく、シャワー付きトイレであった。寝るだけには困らない環境であった。食事はその生協のところであり、基本的には私の体にはあわなかったらしく、毎日が下痢気味であった。日本からの参加者は少なかった。Dr. HooperやDr.Kylieと再会し、シンポジウムもほぼ順調に終えた。空いた時間にバスでダウンタウンに向かう。ほぼ半日で町を回れるほどの小さな町であった。
一緒に行った松山君には物足りなかったかもしれない。一生来ることもないのかなと思ったが、シェフィールド大学はノーベル賞受賞者を何名も出し、伝統がある大学であった。町はシェフィールド大学で持っているのではと思えるくらいの大学であった。シェフィールドが栄えたのは、ステンレスを開発し、その大規模の工場があったころという。学会の夜の交流会はそのミュージアム内であった。
学会のひとつの成果としては、Dr.Kyleから実験用猿を用いた共同研究をしたいと連絡があったことと、私たちの仮説が多くの人に感銘を与えたことと思う。
帰りは、学会が昼過ぎに終わり、そのままバスで駅に向かい、列車でロンドンへ。帰りは予算がかかっても直行便に乗ることにした。ロンドンに着いたら、そのまま地下鉄等を乗り継ぎ、ヒースロー空港に。空港からホテル行きのバスに乗り、空港そばのホテルに到着。晩飯はあまり食べたくなく、ホテル周りを歩いていたらマックがあったので、そこで、フィッシュバーガーを1個。その後、ホテルに帰り、早めに寝た。次の日は朝4時に起き、ホテル前からバスを乗り継ぎ、ターミナルに。朝7時過ぎのブリティッシュ航空でミラノに向かう。機上から見えたアルプスの山々はきれいであった。
それから、ミラノのリナーテ国際空港に到着。バス(10ユーロ)で中央駅に向かう。宿泊ホテルは駅そばのヒルトンホテル。といっても駅周囲は寂しく、ホテルもいわゆるヒルトンという感じでもない。チェックイン後、ホテルに荷物を置き、学会会場に地下鉄を乗り継いで向かう。イタリア自体、訪ねるのは初めて。スリに注意と言われていたためになんとなく警戒しながらの移動。案内等、イタリア語ばかりで、かつ、店でも英語を理解できない店員ばかりで、異国情緒たっぷり。学会会場は地下鉄降りてもしばらくは工事現場の横を20分ばかり歩いて行かなくてはいけない場所。3年に1回開催される国際免疫学会であり、常連の先生が言うには、今回の学会運営はひどいという。学会内の会場移動も不便だし、ポスター会場がなにせ狭すぎた。懇親会も狭すぎ、会場でのジャズの生演奏を聴いて早めに退散(これは雷雨に会わず正解だった)。
機器の展示も何となく寂しく感じた。ただ、シンポジウムの内容はかなり勉強になった。いわゆる免疫学会というイメージより炎症学会といっても良い感じ。この分野の世界の潮流を身近に感じ、我々の研究室で、やるべき分野、やらなくて他の研究者たちに任せた方が良い分野の棲み分けを意識しながら朝から夜まで様々な発表を聞き続けた。しまいには気持ちが悪くなった位だった。
Inflammasome, Th17, regulatory T cell, ワクチンがキーワードだったように思う。同じような炎症モデルを用いており、いろいろな分子を潰すと必ず変化がでるというような状況。また、腸内細菌の影響を証明した発表も多く、生活習慣と免疫、炎症の関連性が明確になったように思えた。
そのような学会活動の合間をぬって、ちょっと、ミラノの市内見学。地下鉄の乗り換え駅であるドーモの教会は大変印象的であった。
この近辺が観光地であった。また、学会期間中に、運良く、学会会場のすぐそばで、午後6時よりインテルの開幕戦があり、当日券の一番安い席(それでも28ユーロ)のホームゴール裏に座った。サポーターの迫力に驚き、そして、長友の得点で多いに感動した。子供と小さい頃に話をしていたこの場所に立ち、そして、開幕戦の日本人のゴールには、運命を感じた。一生の思い出となった。予定外のことであり、同時間の「最後の晩餐」の見学の予約は台無しになった。
最終日の午後、熊薬OBである村本氏がシンポジウムで発表していた。企業からの発表は珍しかった。ただ、日本の企業から情報収集のために多く参加していたようだった。
この出張期間中、体調が今ひとつであり、口内炎と舌炎に悩まされた。シェーフィールドでの水道水と食事が合わないのが大きな原因だと思う。今回は、時差ぼけが全くなく、学会を満喫できたことは良かった。日本でも朝早く目が覚めたりする等、時差ぼけの毎日が功を奏したのだろう。舌炎がなければ、おいしいイタリア料理を満喫できたのであろう。イタリア旅行するならローマが良いらしい。
今回、海外の学会のハシゴは初めてであり、8月17日に出発し、29日の夜に熊本に着くという長旅であった。今回の学会もかなり歩いた。講演も気分が悪くなるくらい聴きまくった。とにかく久々に疲労感を感じた学会出張であった。このようなケースは、ビジネスクラスが良いのかも。他大学の教授の先生がビジネスクラスに座っているのを横目でうらやましく見ながら、後方の団体客が多いエコノミー席に座る。幸いにも通路側を取ってもらっていたが、それでも隣にはでかい人が来ないことを祈っていた。今回、幸いにも行きも帰りも小さい女性。しかし、女性は女性でトイレ等に行く時に気を使ったり、寝ている間にいつのまにか隣に寄り掛からないよう気を使ったりして、疲労感の「倍返し」。昔、オーバーブッキングにより、ビジネスに乗れる機会があったが、疲れの程度が全然違うし、酒や料理の質が異なっていた。
3年後の本学会はオーストラリアのメルボルンだという。